山梨県

梅之木遺跡

うめのきいせき

所在地北杜市明野町浅尾字梅木・同字浅尾原(史跡 梅之木遺跡公園 内)外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

梅之木遺跡(うめのきいせき)は、茅ケ岳(かやがたけ)の西側、標高800mほどの台地に営(いとな)まれた、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)のムラの跡(あと)です。発掘調査(はっくつちょうさ)では、東西・南北とも100mの範囲で、中央広場をとり囲(かこ)むように、約150軒(けん)の住居(たて穴建物)がドーナツ形に輪(わ)になって並ぶ環状集落(かんじょうしゅうらく)であることがわかりました。縄文時代(じょうもんじだい)の人たちがこの地にムラを営(いとな)んだ理由には、ムラの北側を流れる湯沢川(ゆざわがわ)の水を生活に使えて便利(べんり)だったからと考えられます。また、湯沢川(ゆざわがわ)のほとりには、狭(せま)いけれども平らな土地があり、水辺(みずべ)の作業場所として適(てき)していました。梅之木遺跡(うめのきいせき)の人たちが湯沢川(ゆざわがわ)を利用した証拠(しょうこ)として、ムラの西側から湯沢川(ゆざわがわ)に行き来する全長70mの「縄文(じょうもん)の道」がみつかったのです。ムラからこの「道」をたどって約15m下の湯沢川(ゆざわがわ)に下ると、そこには集石土坑(しゅうせきどこう)という調理施設(ちょうりしせつ)、敷石住居(しきいしじゅうきょ)の跡(あと)などが営(いとな)まれていました。このように、梅之木遺跡(うめのきいせき)は住居(じゅうきょ)の跡(あと)だけでなく、道路(どうろ)の跡(あと)や水辺(みずべ)の作業場などが見つかり、縄文時代(じょうもんじだい)のムラとムラのまわりの様子が、広い範囲(はんい)で保存されている、全国的にも例の少ない貴重(きちょう)な遺跡(いせき)のため、2014年に国史跡(くにしせき)に指定されています。

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現在の様子現在は、「史跡 梅之木遺跡公園」として整備(せいび)されています
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