牛石遺跡(うしいしいせき)は、富士山(ふじさん)から流れる桂川(かつらがわ)と、その支流の大幡川(おおはたがわ)が合流するあたり、標高450mの広い台地の上にあります。ほ場整備にともなう発掘調査(はっくつちょうさ)で、今から約4000年前の縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の終わり頃につくられた、直径50mの環状列石(かんじょうれっせき)がみつかりました。環状列石(かんじょうれっせき)は、東西南北の四地点に当たるところに直径4~5mほどの小サークル状の配石(はいせき)とその間をつなぐ列石(れっせき)、その内側に沿うように小さな組石(そせき)があり、ここに立石(りっせき)や埋甕(うめがめ)などを伴(ともな)うものなどがみつかっています。遺跡(いせき)のまわりでは環状列石(かんじょうれっせき)がつくられる直前のころ、富士山(ふじさん)からの小さな軽石(かるいし)が大量に降(ふ)り注(そそ)いでいたことが確認されており、縄文人(じょうもんじん)は環状列石(かんじょうれっせき)から見える富士山(ふじさん)に対して自然の驚異(きょうい)を思い知らされたことと思います。またこの場所から春分(しゅんぶん)・秋分(しゅうぶん)の日には、西側の三ツ峠山(みつとおげやま)の山頂に日が沈むことが確認されています。牛石遺跡の環状列石(かんじょうれっせき)は、富士山(ふじさん)と春分(しゅんぶん)・秋分(しゅうぶん)の日没(にちぼつ)となる三ツ峠山(みつとおげやま)が見える位置に存在しています。
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