縄文時代(じょうもんじだい)をとおして、縄文人(じょうもんじん)たちが利用していた洞窟(どうくつ)です。洞窟(どうくつ)は、上と下の2つに分かれています。上の洞窟(どうくつ)の中は、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)の墓地(ぼち)で、西側で5人分、東側で9人分の人骨(じんこつ)がみつかりました。これらの人骨(じんこつ)は、洞窟(どうくつ)の奥(おく)の方に埋葬(まいそう)されており、墓(はか)の場所が決まっていたようです。また、東側では大人の男性と赤ちゃんが、西側では大人の女性がみつかっており、性別(せいべつ)・年齢(ねんれい)によって埋葬(まいそう)場所が区別されていたことがわかります。
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遠景 提供:広島大学考古学研究室
中央に見えるのが洞窟の入口 提供:広島大学考古学研究室
小児骨3体 提供:広島大学考古学研究室
現在の様子 | 現在は、洞窟(どうくつ)の中に入ることはできませんが、案内看板があり、フェンス越(ご)しにみることはできます |
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