土器(どき)による塩づくりを行った遺跡(いせき)です。この塩づくりは、太陽の熱で水分を蒸発(じょうはつ)させ、塩分を濃(こ)くした海水を土器(どき)に入れて、まわりから火を炊(た)き、水分をなくして塩をとります。こうした塩づくりは、東北(とうほく)や関東(かんとう)地方を除(のぞく)くと、岡山県(おかやまけん)・香川県(かがわけん)の海岸部(かいがんぶ)や島々で弥生時代(やよいじだい)の中ごろに始まり、ほかの地域に伝わっていきました。その後も、岡山では土器(どき)による塩づくりが行われていますが、もっとも盛んに行われたのは古墳時代(こふんじだい)の終わりごろからです。阿津走出遺跡(あづはしりでいせき)もこの頃の遺跡(いせき)で、塩づくりの作業をした灰(はい)の混(ま)じった硬(かた)い地面16枚がそれぞれかさなりあって確認(かくにん)されたほか、焼けた炉(ろ)の壁(かべ)も2か所で発見されています。塩水を入れ長時間火にかけた土器(どき)は壊(こわ)れやすく、大量(たいりょう)に捨てられた土器(どき)の破片(はへん)は、60㎝を超(こ)える厚さの層(そう)となって、調査地(ちょうさち)の外にまで延(の)びています。
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こわれた製塩土器を捨てた場所
大量生産をしていた頃の製塩土器
土器による塩作りの実験