隠岐(おき)の道後(どうご)の八尾(やび)平野を望(のぞ)む丘の上にある、全長48mと隠岐(おき)最大(さいだい)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。現在、くびれ部の南側に平(へい)神社があります。古墳(こふん)の墳丘(ふんきゅう)には河原石(かわらいし)や埴輪(はにわ)のカケラがみられるので、古墳(こふん)のしゃ面にはふき石があり、埴輪(はにわ)が並べられていたと思われます。埋葬施設(まいそうしせつ)は横穴式石室(よこあなしきせきしつ)で、天井石(てんじょういし)がほとんどなくなり、8mほど残っています。須恵器(すえき)や土師器(はじき)のかけらも出土(しゅつど)していて、それらの形や横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があることから、6世紀後半ころにつくられたものと考えられます。このあたりは、奈良時代(ならじだい 8世紀)には隠岐(おき)国の国分寺(こくぶんじ)や国分尼寺(こくぶにじ)がおかれており、古墳(こふん)にほうむられた人は、隠岐(おき)でも最も有力な豪族(ごうぞく)の一人と考えらます。
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平神社古墳横穴式石室
平神社古墳墳丘
遠景