鳥取県(とっとりけん)のいちばん東南、岡山県(おかやまけん)との境(さかい)に接した、中国山地のなかにある縄文時代(じょうもんじだい)のムラの跡(あと)です。縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の終わりごろの住居(たて穴建物)の跡(あと)が11軒(けん)みつかりました。住居の跡(あと)には、火をたく炉(ろ)が作られているものもあり、穴(あな)のへりに石を並べて囲(かこ)った炉(ろ)や、土器(どき)の甕(かめ)を埋めた炉(ろ)などがあります。住居の跡(あと)からは、たくさんの土器(どき)がみつかりました。鳥取県(とっとりけん)内の縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)では、住居は1~数軒(けん)しかないのがふつうですが、11軒(けん)もの住居の跡(あと)がみつかった智頭枕田遺跡(ちずまくらだいせき)は、長い間、人が住み続けた、この地域の中心的なムラだったと考えられます。
ムラ跡(あと)の他にも、縄文時代草創期(じょうもんじだいそうそうき)から弥生時代前期(やよいじだいぜんき)にかけての、縄文土器(じょうもんどき)や弥生土器(やよいどき)、石器(せっき)が大量(たいりょう)にみつかっています。縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)の土器(どき)には、中部・北陸(ほくりく)・東北地方に特徴(とくちょう)的なもようをもったものもあり、この時期に幅(はば)広い地域との交流(こうりゅう)があったことがわかります。
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縄文時代後期の住居跡
石で囲われた埋甕炉(うめがめろ)
作業風景
現在の様子 | 現在は、智頭町保健・医療・福祉総合センターになっているため、見学できません |
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