東郷湖(とうごうこ)の南の岸の丘の上につくられた、山陰(さんいん)地方で最大(さいだい)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。古墳(こふん)の全長は110mで、墳丘(ふんきゅう)の表面はふき石でおおわれ、埴輪(はにわ)が並べられていたと考えられます。後円部(こうえんぶ)では、たて穴式石室(たてあなしきせきしつ)と石棺(せっかん)が1基(き)ずつみつかりました。たて穴式石室(たてあなしきせきしつ)はひどく壊(こわ)されていましたが、石棺(せっかん)からは銅鏡(どうきょう)1枚、まが玉、鉄製の刀・斧(おの)がみつかっています。また、たて穴式石室(たてあなしきせきしつ)の北側には、白い砂がしかれていた場所があり、鶏(にわとり)形の埴輪(はにわ)がみつかったことから、何かの儀式(ぎしき)が行われた場所と考えられています。
北山古墳(きやたまこふん)がつくられたのは、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)で、橋津4号墳(はしづ4ごうふん)のしばらく後の王の墓(はか)と考えられます。橋津4号墳(はしづ4ごうふん)から北山古墳(きやたまこふん)までの、代々(だいだい)の王の墓は、東郷湖(とうごうこ)のほとりに築(きず)かれており、彼らが日本海や東郷湖(こうごうこ)を利用した交易(こうえき)により力をたくわえたことを想像させます。
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全景
円筒埴輪(倉吉博物館 所蔵)
古墳の測量図(そくりょうず)