- 遺跡数28,608か所
- 面 積8,401㎢
兵庫県(ひょうごけん)には、西日本最大級(さいだいきゅう)の旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)や、西日本では珍しい大きな縄文時代(じょうもんじだい)のムラがあるほか、県全体の遺跡(いせき)の数や、みつかった銅鐸(どうたく)の数、古墳(こふん)の数は日本一という特色があります。またそれ以上に、よそにはない特色があります。それは、日本海に面した但馬国(たじまのくに)、山の多い丹波国(たんばのくに)、瀬戸内海(せとないかい)に面する播磨国(はりまのくに)、大阪湾(おおさかわん)に面する摂津国(せっつのくに)、そして太平洋(たいへいよう)に面する淡路国(あわじのくに)という、昔の5つの国が1876年に一つになって、兵庫県(ひょうごけん)になったことです。この5つの地域(ちいき)ごとに、気候や文化、特産物(とくさんぶつ)などが大きくちがっていて、考古学(こうこがく)からみても、それぞれの地域(ちいき)に特色(とくしょく)があります。たとえば、但馬(たじま)では、南部には大型(おおがた)の古墳(こふん)が集中していますが、北部では小さな古墳(こふん)がたくさん集まっています。丹波(たんば)では、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)がみつかっています。播磨(はりま)には、大型(おおがた)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)がたくさんあります。摂津(せっつ)では、国宝(こくほう)の桜ヶ丘銅鐸(さくらがおかどうたく)をはじめ、銅鐸(どうたく)がたくさんみつかっています。淡路(あわじ)では、最古級(さいこきゅう)の銅鐸(どうたく)が7個みつかった松帆銅鐸(まつほどうたく)が注目されています。また、五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)や舟木遺跡(ふなきいせき)では、鉄器(てっき)作りの工房(こうぼう)として使われた大型(おおがた)のたて穴建物の跡(あと)があいついでみつかっています。
松帆銅鐸(まつほどうたく)南あわじ市松帆出土
2015年に、建築資材会社(けんちくしざいがいしゃ)が近くの海岸から取ってきた砂の中から、古い形の銅鐸(どうたく)7個がみつかりました。このうち6個は、高さ32cmくらいの大きさの銅鐸(どうたく)の中に22cmくらいのものがすっぽりと入っていました。すべての銅鐸(どうたく)の内部に、「舌(ぜつ)」という鳴らすための青銅製(せいどうせい)の棒(ぼう)が残り、本体につりさげる紐(ひも)の一部もみつかりました。これは全国で初めてのことでした。また銅鐸(どうたく)の内部に残っていた植物(しょくぶつ)の年代を測ったところ、紀元前3世紀という、銅鐸(どうたく)が作られ始めて間もないころに埋められたものだということもわかりました。さらには、島根県の加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)や荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)でみつかっている銅鐸(どうたく)と同じ鋳型(いがた)で作られたものがあることがわかるなど、銅鐸(どうたく)を研究(けんきゅう)する上で重要(じゅうよう)な発見となりました。
垂飾式(すいしょくしき)耳かざり宮山古墳(みややまこふん) 国指定重要文化財
5世紀後半につくられた宮山古墳(みややまこふん)は、銀錯貼金環頭太刀(ぎんさくてんきんかんとうたち)や銀製(ぎんせい)の指輪(ゆびわ)など、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)で作られたような品々が数多く出土(しゅつど)したことから、渡来人(とらいじん)の墓(はか)と考えられている円墳(えんぷん)です。
なかでも、この垂飾式(すいしょくしき)耳かざりは、全国でも30例ほどしか知られていない珍(めずら)しい品で、細かい細工(さいく)がすばらしいものです。水鳥(みずどり)の埴輪(はにわ)池田古墳(いけだこふん) 国指定重要文化財
池田古墳(いけだこふん)は、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき 5世紀初めころ)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。墳丘(ふんきゅう)にテラスのように出っぱったところがあり、そこで水鳥(みずどり)の埴輪(はにわ)が23個も出土(しゅつど)しました。おそらく、墳丘(ふんきゅう)をめぐる濠(ほり)に水鳥(みずどり)がうかんでいるように、並べられていたのでしょう。少し大きめのものがコハクチョウ、小さめのものがガン・カモなどを表(あらわ)しています。1つの古墳(こふん)からみつかったものとしては、全国でもっとも多い数です。