北海道

船泊遺跡

ふなどまりいせき

所在地礼文町大字船泊村字ウヱンナイホ204-1 ほか外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

礼文島(れぶんとう)の久種湖(くしゅこ)と海岸の間にできた、高さ10mの砂丘の上にある縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)から後期(こうき)のムラです。墓(はか)、(ろ)の跡(あと)のほか、土器(どき)や貝で作った玉類、人骨(じんこつ)などがみつかっています。
体をまげた状態で埋葬(まいそう)された人骨(じんこつ)には、ビノスガイの貝がらで作られた貝玉(かいだま)がたくさんつけられていました。貝玉(かいだま)は、首かざり・うで輪・足輪などとして用いられていました。大量の貝玉(かいだま)を作るために使われた長さ1cm 余りのメノウ製の錐(きり)が1万点以上も出土(しゅつど)し、貝玉(かいだま)の材料となるビノスガイを集めた場所や貝玉作りの作業所もあることから、交易(こうえき)用の貝玉(かいだま)づくりが行われていた可能性があります。
そのほか、新潟(にいがた)でとれるヒスイ大珠(たいしゅ)、南のあたたかい海でしかとれないイモガイでつくった首かざり、タカラガイやマクラガイのアクセサリーが見つかっており、遠い土地との交流があったことがうかがえます。

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  • 遠景

    遠景

  • 人骨と貝製平玉の副葬品がみつかった墓

    人骨と貝製平玉の副葬品がみつかった墓

  • 礼文島でとれない貝や石を利用した製品

    礼文島でとれない貝や石を利用した製品

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