標高(ひょうこう)133mから149mの丘の上にある遺跡(いせき)で、縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)から続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)の初めごろ墓(はか)が多数みつかっています。コハク製の平玉(ひらだま)が副葬(ふくそう)されていた墓(はか)は3つあり、そのうち2つは、1000点をこえるコハク製平玉(ひらだま)が出土(しゅつど)しています。1232点のコハク製平玉(ひらだま)がみつかった墓(はか)からは、小型の土器(どき)とクマ形石製品(せきせいひん)、黒曜石(こくようせき)製の矢じりが一緒にみつかっています。3235点のコハク製平玉(ひらだま)がみつかった墓(はか)からは、石斧(いしおの)と土器(どき)がみつかっており、副葬品(ふくそうひん)の組み合わせがよくわかる例となっています。
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続縄文時代の墓
墓からみつかった恵山式土器
大量にみつかったコハク玉