台地(だいち)の上から斜面(しゃめん)に捨(す)てられた貝が、層になってつもったところが点々とみつかっています。現在のところ5ヶ所の貝層(A~E貝層)が見つかっています。
1894年(明治27年)以降(いこう)、くり返し行われた発掘調査(はっくつちょうさ)によって、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)を中心とした貝塚(かいづか)であることが分かりました。この遺跡(いせき)からみつかった土器(どき)は、霞ヶ浦沿岸(かすみがうらえんがん)を中心として広がっており、これらの土器(どき)は、貝塚(かいづか)の名前をとって、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)前半の「阿玉台式(あたまだいしき)」と呼(よ)ばれ、年代(ねんだい)を決める土器(どき)のモデルとなっています。この土器(どき)には、金雲母(きんうんも)が混(ま)じっているため、光に照(て)らすとキラキラ光るのが特徴(とくちょう)です。
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石標
東側斜面(D貝層)
北側斜面(C貝層)