富岡市(とみおかし)の街(まち)を見おろす二つの尾根(おね)にまたがってつくられた、弥生時代(やよいじだい)の後半のムラです。弥生時代(やよいじだい)中ごろから住居(たて穴建物)(じゅうきょ)がありますが、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろにムラが急に大きくなります。急なしゃ面のせまい尾根(おね)なのに、大小140軒(けん)以上の住居(たて穴建物)(じゅうきょ)のほか、櫓(やぐら)とも考えられるほったて柱建物や、ムラをかこむように作られた柵列(さくれつ)や濠(ほり)もみつかりました。焼けた住居(たて穴建物)が多いことなどから、このムラで戦いがあったのではないかと考える人もいます。どちらにしても、田んぼをもとにした、この地域(ちいき)の中心的なムラだったでしょう。
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遠景
焼失した竪穴
現在の遺跡
現在の様子 | 現地は、上信越自動車道(じょうしんえつじどうしゃどう)の建設(けんせつ)のために調査(ちょうさ)されましたが、住民から強い要望(ようぼう)があり、道路をトンネルにして遺跡(いせき)の下を通すことにより、遺跡(いせき)は保存(ほぞん)されました。現在は、富岡市(とみおかし)により、史跡公園(しせきこうえん)として整備することが計画されています |
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