風返稲荷山古墳(かぜかえしいなりやまこふん)は、霞ヶ浦(かすみがうら)に飛び出る出島半島の北西の台地上につくられた、全長78.1mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。発掘調査(はっくつちょうさ)によって、墳丘(ふんきゅう)のくびれ部から箱式石棺(はこしきせっかん)が、後円部(こうえんぶ)から横穴式石室(よこあなしきせきしつ)がみつかりました。箱式石棺(はこしきせっかん)からは、円頭大刀(えんとうたち)、金銅製耳環(こんどうせいじかん)、ガラス玉などが出土(しゅつど)し、箱式石棺(はこしきせっかん)から1mほど離(はな)れた場所からは、馬具(ばぐ)のセットが発見されました。馬具(ばぐ)は、布と木のカケラが付着(ふちゃく)していたことから、布で包まれて木箱に入れられていたと考えられます。横穴式石室(よこあなしきせきしつ)には、奥と左右に3つの箱式石棺(はこしきせっかん)が置かれていて、金銅製耳環(こんどうせいじかん)、頭椎大刀(かぶつちたち)、円頭大刀(えんとうたち)、銀装刀子(ぎんそうとうす)などがみつかりました。また、前室の奥からは直刀(ちょくとう)や鉄鉾(てつほこ)や鉄鏃(てつぞく)、銅鋺(どうわん)、馬具(ばぐ)類、刀子(とうす)などがまとまって出土(しゅつど)しました。古墳がつくられた時期は6世紀末から7世紀の初めころで、7世紀中ごろまでに4回、亡くなった人を葬(ほうむ)ったと考えられています。この古墳(こふん)に葬(ほうむ)られた人々は、この地域(ちいき)を治(おさ)めていた有力者の一族と考えられます。
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現在の様子 | 出土品のうち75点は、茨城県の文化財に指定されていて、かすみがうら市歴史博物館の常設展示で公開されています |
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