虎塚古墳(とらづかこふん)は、本郷川(ほんごうがわ)と中丸川(なかまるがわ)にはさまれた台地の先端(せんたん)につくられた、全長56.5mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。葺き石(ふきいし)や埴輪(はにわ)などはありません。後円部(こうえんぶ)の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)から、成人男性の人骨と小大刀(こたち)、刀子(とうす)などの副葬品(ふくそうひん)が発見されました。石室内で注目されるのは、埋葬(まいそう)する部屋の天井(てんじょう)と床(ゆか)にベンガラ(赤色顔料)が全面に塗(ぬ)られ、奥の壁と左右の壁には白色粘土で下塗(したぬ)りした上に、赤いベンガラで円形や三角形、輪(わ)のような形の絵、また靭(ゆき)・鞆(とも)・盾(たて)・大刀(たち)などの武器(ぶき)・武具(ぶぐ)の絵が描(えが)かれていたことです。石室の壁にこうした絵が描(えが)かれる古墳(こふん)は、装飾古墳(そうしょくこふん)と呼ばれ、九州地方に数多くみられることから、九州地方との強い結びつきがうかがえます。虎塚古墳(とらづかこふん)は、埴輪(はにわ)をもたないこと、壁画(へきが)の特徴(とくちょう)などから、7世紀前半ごろにこの地域につくられた最後の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、この古墳(こふん)に葬(ほうむ)られた人は、この地域(ちいき)を治(おさ)めていた有力者だと考えられます。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ