縄文時代(じょうもんじだい)の中期(ちゅうき)から後期(こうき)にかけての大きなムラの跡(あと)です。縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)には、80軒(けん)以上の住居(たて穴建物)の跡(あと)がドーナツ状に並んで、大きな環状集落(かんじょうしゅうらく)がつくられていることがわかっています。中期(ちゅうき)の終わりから後期(こうき)の初めになると、住居(じゅうきょ)がたて穴建物から敷石(しきいし)建物へと変化していきます。また、ムラの規模(きぼ)もだんだんと小さくなっていきます。どうして、こういう変化がうまれたのかは、まだよくわかっていません。後期(こうき)には、敷石(しきいし)建物とともに配石遺構(はいせきいこう)や配石墓群(はいせきぼぐん)などが発見されるなど、生活のしかたのうつり変わりを知ることができます。また、打製石斧(だせいせきふ)、石匙(いしさじ)、石の矢じり、甕(かめ)、土偶(どぐう)など、いろいろな遺物(いぶつ)が出土(しゅつど)しています。
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