栃木県

篠山貝塚

しのやまかいづか

所在地栃木市藤岡町字篠山外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

篠山貝塚(しのやまかいづか)は、現在の海岸線から70km以上も内陸(ないりく)にあって、「海無県(うみなしけん)」にある、関東の一番奥(おく)まったところにある貝塚(かいづか)として有名です。こんなところに、なぜ貝塚(かいづか)ができたのでしょうか?それは、縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)に、地球の温暖化(おんだんか)がピークをむかえ、海水面(かいすいめん)が上昇(じょうしょう)したからです。
当時は、平均(へいきん)気温がいまより1~2度高く、海水面が5mほど上がりました。そのため、東京湾の海水が栃木県(とちぎけん)まで入りこんできたのです。篠山貝塚(しのやまかいづか)は、もっとも奥(おく)にある貝塚(かいづか)なので、そのころのようすを調べるため、たびたび発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれました。出土(しゅつど)した貝の大部分は、淡水(たんすい)にいるヤマトシジミでしたが、ごくわずかにマガキ・ハイガイ・ハマグリ・アカニシなどの海にいる貝がふくまれていたので、おそらく、目の前まで海水がきていたということでしょう。
県境(けんきょう)がせっしている栃木(とちぎ)・群馬(ぐんま)・茨城(いばらき)の3県にまたがって、33平方キロメートルにもおよぶ渡良瀬遊水池(わたらせゆうすいち)の造成(ぞうせい)工事によって、貝塚(かいづか)の約半分が失われましたが、残った部分には今でも大量の貝がらがみられ、貝塚(かいづか)の存在(そんざい)を示しています。

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  • 第1号住居跡内の貝層分布

    第1号住居跡内の貝層分布

  • 深鉢形土器 写真:明治大学博物館

    深鉢形土器 写真:明治大学博物館

  • 貝層の断面(第1住居跡)

    貝層の断面(第1住居跡)

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