縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)の根古谷台遺跡(ねごやだいいせき)では、広場の中心部にある300をこえる土坑墓(どこうぼ)を、ドーナツ状に取りかこむように住居(たて穴建物)27軒(けん)、ほったて柱建物(ほったてばしらたてもの)18軒(けん)、方形建物(ほうけいたてもの)11軒(けん)、長方形の大型建物(おおがたたてもの)16軒(けん)などの跡(あと)がみつかりました。もっとも大きな第1号建物は、全長23m、幅(はば)9.8m。同じような作りで復元(ふくげん)された青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)の全長32mにつぐ大きさです。また、ほったて柱建物(ほったてばしらたてもの)としたなかには、特に大きな柱8本がだ円形に並ぶものがあり、ふつうの建物(たてもの)とは違うようです。ムラの中心部に作られることから、ウッドサークルと呼(よ)ばれる祭りや儀式(ぎしき)をおこなう場ではないかと思われます。
「お宝ベスト5」でも紹介(しょうかい)しているように、中央の土坑墓(どこうぼ)からは、大型でとても美しい抉状耳飾(けつじょうみみかざ)りが出土(しゅつど)しています。これらに加え、鳥の骨(ほね)に似せて作ったと思われる管玉(くだたま)や丸玉(まるだま)も、これまでにない優(すぐ)れた品です。このように特殊(とくしゅ)な遺物(いぶつ)をともなう墓地(ぼち)を、大型の建物で取りかこむのは、ふつうの日常生活の場とは違って、まわりに存在(そんざい)するいくつものムラをふくめた埋葬(まいそう)と儀礼(ぎれい)の場と考えた方がよさそうです。
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復元された第1号建物
出土した管玉類
遺跡の全体図