栃木県(とちぎけん)では、弥生時代前期(やよいじだいぜんき)の終わりごろからやっと弥生土器(やよいどき)を使い始めますが、みつかっているムラは数か所くらいで、石包丁(いしぼうちょう)などの農具(のうぐ)や田んぼといった米作りにかかわる証拠(しょうこ)もきわめて少ないです。弥生土器(どき)を使っていても、まだまだ縄文時代(じょうもんじだい)のような生活がかなり残っていたようです。西日本では、米づくりが始まるという大きな変化(へんか)の時代をむかえていた頃、こちらでは穏(おだ)やかな生活だったと言えそうです。しかし、弥生時代(やよいじだい)から古墳時代(こふんじだい)への移りかわりははげしいものでした。下野市(しもつけし)の山王遺跡(さんのういせき)では、弥生時代(やよいじだい)と古墳時代(こふんじだい)の住居(たて穴建物)の跡(あと)が11軒(けん)出土(しゅつど)し、一部では2つの時代の土器(どき)がまじりあってみつかりました。また、弥生時代(やよいじだい)の建物をこわして、県内で最古級(さいこきゅう)の前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)である三王山南塚1・2号墳(さんのうやまみなみづか1・2ごうふん)がつくられており、またたく間に時代がかわった様子がうかがえます。
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1号墳出土の壺形土器
2号墳出土の高坏形土器
1号墳(右)と2号墳(左)の測量図