侍塚古墳(さむらいづかこふん)は、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)である上侍塚(かみさむらいづか)と下侍塚(しもさむらいづか)の2つの古墳(こふん)のことをさします。時代劇(じだいげき)で有名な“水戸(みと)の黄門(こうもん)さま”こと水戸光圀(みとみつくに)が、家来(けらい)に命じて発掘調査(はっくつちょうさ)を行ったことで有名です。調査(ちょうさ)の結果、銅鏡(どうきょう)やくだ玉、貝のうで輪(わ)の模造品(もぞうひん)である石釧(いしくしろ)などの多くの副葬品(ふくそうひん)がみつかりました。水戸光圀(みとみつくに)は、これらの遺物(いぶつ)を絵師(えし)にえがかせた後に、木箱におさめて再び古墳(こふん)に埋(う)めもどさせました。また、発掘(はっくつ)した跡(あと)も埋(う)めもどし、松を植えるなど、元どおりにもどしました。遺跡(いせき)を大切にする文化財保護(ぶんかざいほご)の点からも注目できます。
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空から見た上侍塚古墳
下侍塚古墳出土の壷型土器
下侍塚古墳の遠景