本目遺跡(もとめいせき)は、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろ、九州山地(きゅうしゅうさんち)の真ん中に築かれた墳丘墓(ふんきゅうぼ)です。木の葉の形をした人吉盆地(ひとよしぼんち)のなだらかな丘の上に、土を盛(も)り、墓穴(はかあな)を掘(ほ)って、木棺(もっかん)を埋(う)めた、だ円形の墳丘墓(ふんきゅうぼ)がきずかれています。この時期の、人吉盆地(ひとよしぼんち)の有力者(ゆうりょくしゃ)の墓(はか)です。
墓(はか)の中には、破鏡(はきょう)、くだ玉、ガラス玉を入れ、墓の上にはいろいろな土器(どき)をお供(そな)えしていました。破鏡(はきょう)は、貴重品(きちょうひん)だった中国製の鏡の破片をみがきあげ、穴(あな)をあけてペンダントにしたものです。墓の上におかれた土器(どき)は、免田式土器(めんだしきどき)といって、そろばん玉の形の胴部(どうぶ)にスラリとのびた頸(くび)がつき、重弧文(じゅうこもん)が線で刻(きざ)まれている、きれいな壺(つぼ)です。この個性的(こせいてき)な免田式土器(めんだしきどき)は、南は沖縄(おきなわ)から北は壱岐(いき)まで、東シナ海に沿って発見されています。この他、東九州と似た土器(どき)、南九州と似た土器(どき)もあり、各地の土器(どき)の流行(「モード」と読んでね)がコラボしています。人吉盆地(ひとよしぼんち)は、九州の東と西、南と北を結ぶ交差点(「クロスロード」と読んでね)だったことがわかります。すごいでしょ!
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