県南部の内陸部(ないりくぶ)、都城盆地(みやこのじょうぼんち)で発見された、弥生時代(やよいじだい)の初めごろの田んぼの遺跡(いせき)です。みつかった田んぼは、水路(すいろ)のような水の流れを調整(ちょうせい)する施設(しせつ)を作らずに、台地の下の小さな自然のわき水を利用して作られていました。田んぼは、畦(あぜ)によって区画(くかく)されていますが、一つの区画(くかく)は10㎡と小さく、形もそろっていないことが特徴(とくちょう)です。田んぼからは、イネの葉にふくまれるプラント・オパール(植物珪酸体)がまわりの土地よりもたくさんみつかっていて、実際に米づくりがおこなわれていたと考えていいでしょう。
みつかった土器(どき)は、突帯文土器(とったいもんどき)とよばれる縄文時代(じょうもんじだい)の終わりごろから弥生時代(やよいじだい)の初めごろのものなので、坂元A遺跡(いせき)の田んぼは、日本列島に米づくりが伝わったころの初期の田んぼであることがわかりました。このほか、木製の農具(のうぐ)はみつかっていませんが、石の土掘り具や石庖丁(いしぼうちょう)など、米づくりに使われたと思われる道具(どうぐ)がみつかっています。
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空から見た遺跡(いせき)
水田跡(弥生時代~古墳時代)
水田跡(縄文時代晩期末ごろ)
現在の様子 | 現在、遺跡(いせき)は、圃場整備事業(ほじょうせいびじぎょう)により、発掘調査(はっくつちょうさ)の後にけずりとられています |
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