古墳時代後期(こふんじだいこうき)の南九州を代表する古墳群(こふんぐん)です。古墳時代後期(こふんじだいこうき)になると、全国的に前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が小さくなるのですが、新田原古墳群(にゅうたばるこふんぐん)では全長80~100mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が、とぎれることなくつくられました。古墳時代後期(こふんじだいこうき)前半の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)である百足塚古墳(むかでづかこふん)では、墳丘(ふんきゅう)のまわりの堤(つつみ)の近くから家・人物・動物などさまざまな形の埴輪(はにわ)が57個以上も出土しました。それらの埴輪(はにわ)は、種類や並べ方がヤマト政権の継体大王(けいたいだいおう)の墓(はか)とされる大阪府(おおさかふ)の今城塚古墳(いましろづかこふん)に似ているため、ヤマトの大王家と深い関係をもっていた人物の墓(はか)として注目されています。
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古墳群遠景
上空から見た石室(百足塚古墳)
古墳群全景
現在の様子 | 現在、新田原古墳群(にゅうたばるこふんぐん)のうち、祇園原地区(ぎおんばるちく)では多くの古墳(こふん)が整備(せいび)・公開(こうかい)されています |
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