宮ノ東遺跡は、西都市内を北から南に流下してきた一ツ瀬川が、東に向けて大きく流れを変える瀬口地区の左岸、新田原台地から川に突きだした標高約30mの丘陵上に立地します。旧石器時代から近現代まで続く複合遺跡ですが、一番の特徴は古墳時代から古代にかけての竪穴建物が数百軒規模で営まれた超過密的な集落であることです。200軒を超える竪穴建物のうち、奈良時代のものが118軒、平安時代のものが91軒にのぼります。また、奈良時代から平安時代にかけて50棟を超える掘立柱建物も存在しました。平安時代には集落内で大規模な地崩れが発生し、それを元にもどす造成が行われていることも確認されました。大量の土師器、須恵器に加えて緑釉陶器や越州窯青磁が出土しています。また、竪穴建物から火打ち石も出土しました。このほか、竪穴建物からはイネやコムギなどの炭化種実が出土しましたが、コムギは本遺跡の古墳時代には見られないことから、奈良時代以降に朝廷主導によって各種雑穀の作付けが奨励されたことと関係している可能性があります。
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現在の様子 | 遺跡(いせき)は、東九州自動車道の建設によって消滅(しょうめつ)したため、見学できません |
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