雲仙岳(うんぜんだけ)の南のふもとの台地にある、縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)の支石墓(しせきぼ)です。支石墓(しせきぼ)とは、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)南部から伝わった墓(はか)の形で、九州北西部<福岡(ふくおか)・佐賀(さが)・長崎(ながさき)>で多くみつかっています。原山支石墓群(はらやましせきぼぐん)は、墓地(ぼち)が3ヶ所で確認(かくにん)されており、これまでに55の墓(はか)がみつかっています。上におかれた大きな石の下には、板のようなうすい石を箱形(はこがた)に組みたてた小形(こがた)の箱式石棺(はこしきせっかん)がつくられており、副葬品(ふくそうひん)はほとんど残っていないことから、身分(みぶん)の差があまりない、共同(きょうどう)で営(いとな)まれた墓地(ぼち)であると考えられます。
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近景
支石墓(しせきぼ)
遺構(いこう)の実測図(じっそくず)