乙津川(おとづがわ)の河口(かこう)近くでみつかった、縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)から後期(こうき)までの遺跡(いせき)です。縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)には、石器(せっき)の材料である黒曜石(こくようせき)がたくさん出土(しゅつど)しました。これらの黒曜石(こくようせき)は、姫島(ひめしま)から舟で運ばれてきたと考えられています。10kgをこえる姫島(ひめしま)の黒曜石(こくようせき)の塊(かたまり)や、小さくわった黒曜石(こくようせき)を入れたあみカゴなどがみつかっています。貝塚(かいづか)には、縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)に海水と川の水がまじりあった干潟(ひがた)に生きるヤマトシジミの貝がらがたまった層(そう)と、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)に海で生きるハマグリの貝がらがたまった層(そう)がありました。この2つの貝の層(そう)の違いは、地球規模(きぼ)での気候の変化が原因(げんいん)です。地球が暖かくなると海水面が上がり、寒くなると海水面が下がります。さて、この2つの貝の層(そう)の違いは、どういう気候の変化によるのか、考えてみてください。
縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)には、地球が寒くなってふたたび海水面がさがって、海岸が遠くなったために、貝塚(かいづか)はつくられません。そのかわりに、埋葬(まいそう)された人骨(じんこつ)が発見されています。すぐ近くの谷には、イチイガシの実がたくさん入った貯蔵穴(ちょぞうけつ)もみつかっており、谷をふくめた広い範囲(はんい)で生活していたことがわかりました。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
遠景
人骨・貝塚
ドングリ貯蔵穴