吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)の発掘調査(はっくつちょうさ)でみつかった、奈良時代(ならじだい)の寺(てら)の跡(あと)です。いまの吉野ヶ里歴史公園(よしのがりれきしこうえん)の北口エリアにあります。調査(ちょうさ)の結果(けっか)、塔(とう)の土台(どだい)となる「基壇(きだん)」の跡(あと)や、お坊(ぼう)さんがいた金堂(こんどう)・講堂(こうどう)などの建物(たてもの)の跡(あと)、寺(てら)の範囲(はんい)をくぎるための溝(みぞ)の跡(あと)などがみつかっており、8世紀に作られたと考えられます。また、土器(どき)のほかにたくさんの瓦(かわら)が出土(しゅつど)しており、一部の建物(たてもの)の屋根(やね)には瓦(かわら)がふかれていました。
辛上廃寺(からかみはいじ)は、奈良時代(ならじだい)の肥前国(ひぜんのくに 今の佐賀県・長崎県の一部 追加)について書いた『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』という書物(しょもつ)に書いてある寺(てら)の跡(あと)だと考えられています。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ