徳島県

若杉山辰砂採掘遺跡

わかすぎやましんしゃさいくついせき

所在地徳島県阿南市水井町若杉谷外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代~古墳時代

国内でたった一つしかない、水銀朱(すいぎんしゅ、赤い顔料)をつくった遺跡(いせき)です。水銀朱(すいぎんしゅ)は、日本人が使ってきたいろいろな赤い顔料(がんりょう)の中で、もっとも貴重(きちょう)とされていました。朱(しゅ)の利用は、縄文時代(じょうもんじだい)から始まっていますが、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)から古墳時代(こふんじだい)にかけて、多くの墓(はか)の埋葬施設(まいそうしせつ)にまいたり、遺体(いたい)を赤くいろどるのに使われました。岩脈(がんみゃく)にある「辰砂(しんしゃ)」とよばれる鉱石(こうせき)から水銀朱(すいぎんしゅ)をより分け、純度(じゅんど)を高め、粉にして使いました。さい近の調査(ちょうさ)により、辰砂(しんしゃ)をとるためとみられる、地下にほった通路も発見されています。

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