縄文時代(じょうもんじだい)のムラの跡(あと)が次々とみつかった大きな遺跡(いせき)です。縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の住居(たて穴建物)の跡(あと)が40軒(けん)ほどみつかっていますが、不思議にも、その半分が火事にあっています。
縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)にみつかる「敷石住居(しきいしじゅうきょ)」は、福島県(ふくしまけん)に多い前方後円(ぜんぽうこうえん)の形をしているのが特徴(とくちょう)です。縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)には、ほったて柱建物がドーナツ形にならび、その外側には土器(どき)を埋(う)めた子どもの墓(はか)がたくさんくつくられていました。ほったて柱建物の中には、青森県(あおもりけん)の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)と同じような非常(ひじょう)に太い柱を使った建物もふくまれています。公園内には、ほったて柱建物が復元(ふくげん)され、展示(てんじ)されています。
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復元された縄文時代の建物跡
発掘したままの状態を見学できる露出展示棟
じょーもぴあ宮畑の体験学習施設「じょいもん」
現在の様子 | 現在は、「じょーもぴあ宮畑」という遺跡(いせき)公園になっています。公園内にある体験学習施設「じょいもん」では、焼けたたて穴建物跡のようすや、しゃがんで腕(うで)をくむ土偶(どぐう)などを見ることができます。また、公園内の「露出展示棟(ろしゅつてんじとう)」では、土器(どき)が大量にみつかった場所に屋根(やね)がかけられていて、発掘調査(はっくつちょうさ)した時のままのようすを見ることができます |
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