三陸(さんりく)海岸のほぼ中央、大船渡湾(おおふなとわん)の奥(おく)にある縄文時代(じょうもんじだい)の終わりごろの遺跡(いせき)です。大洞貝塚(おおほらかいづか)で出土(しゅつど)した土器(どき)のセットは、縄文時代(じょうもんじだい)の終わり頃の東北地方から北海道南部に広まる土器(どき)のモデルとされ、「大洞式土器(おおほらしきどき)」とよばれています。「大洞式土器(おおほらしきどき)」は、繊細(せんさい)なつくりが特徴(とくちょう)です。
縄文時代(じょうもんじだい)の人びとは、標高(ひょうこう)31mの丘を中心にムラをつくって生活していました。南北のしゃ面にある貝塚(かいづか)からは、シカの角でていねいに作られた漁(りょう)の道具や、当時の人々が食べた貝や魚、動物などの食べ残しがみつかっています。また、ムラの一部には、墓(はか)が残されていて、およそ20人分の人骨(じんこつ)が出土しました。これらの発見は、三陸(さんりく)の「縄文漁師(じょうもんりょうし)のムラ」でのくらしをくわしく伝えています。
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近景(住居区域と考えられる丘の頂の平坦部)
シカの角で作られた漁の道具
貝塚の調査風景(B地点)