岡山県おかやまけん
  • 遺跡数22,529か所
  • 面 積7,114㎢
しかたん
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岡山県、とくに南部は、広い平野と温暖な気候に恵まれた、農業に適した地域です。そのため、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から水田での米づくりが伝わった弥生時代(やよいじだい)以降、米づくりで栄えてきました。また、陸の交通・海の交通の重要な地域(ちいき)としても栄え、弥生時代後期(やよいじだいこうき)の後半には、弥生時代(やよいじだい)最大の墳丘(ふんきゅう)をもつ首長(しゅちょう)の墓(はか)である楯築遺跡(たてつきいせき)がつくられました。この時期には、ほかの地域(ちいき)と違(ちが)って、土器(どき)にもようをつけてかざり、土器(どき)による神への祭りをさかんに行っています。
とくにこの地域(ちいき)に独特(どくとく)なのは、高さ1mをこえる特殊(とくしゅ)な器台(きだい)を作って、首長(しゅちょう)の墓(はか)のまわりに立てることでした。そして、この特殊(とくしゅ)な器台(きだい)が、古墳時代(こふんじだい)の埴輪(はにわ)のもとになりました。ヤマト政権(せいけん)の有力な首長(しゅちょう)の墓(はか)に吉備(きび)の道具が使われたことから、古墳時代(こふんじだい)のヤマト政権(せいけん)の中で、吉備(きび)が力を持っていたことがわかります。古墳時代(こふんじだい)には、全国第4位の大きさの造山古墳(つくりやまこふん)、10位の作山古墳(つくりやまこふん)、墳丘(ふんきゅう)の長さ206mの両宮山古墳(りょうぐうさんこふん)など、昔の山陽道(さんようどう)ぞいに巨大な古墳(こふん)がつくられます。古墳時代(こふんじだい)の終わりごろには、日本でもっとも早い時期から鉄(てつ)の生産が始まり、土器(どき)を使った塩づくりも、このころからさかんに行われるようになります。

うちのお宝 ベスト5

  • 分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)

    分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)県内の弥生時代中期~後期の遺跡

    分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)は、岡山県(おかやまけん)でたくさん出土(しゅつど)することで有名な品です。物の重さを測る分銅(ふんどう)というおもりに似ていることから、この名があります。大きさは約3cm~20cmを超(こ)えるものがあります。県外でも多数出土(しゅつど)していますが、岡山県(おかやまけん)がとびぬけて多いのです。分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)は顔を描(えが)いているものも多く、人を表していると思われますが、壊(こわ)れた状態でみつかるものがほとんどです。自分にふりかかるかもしれない、病気や災(わざわ)いをこの土製品(どせいひん)に引き受けてもらい、それを壊(こわ)すことによって、自分が無事(ぶじ)でいられるように願うためのものではないかと考えられています。

  • 弧帯石(亀石)(こたいせき、かめいし)

    弧帯石(こたいせき)「亀石(かめいし)」楯築遺跡(たてつきいせき) 国指定重要文化財

    平面形は、三角形のおにぎりのような形をしており、最大の長さと幅(はば)はそれぞれ約90㎝、厚さ約35㎝の石で、細くなった先端(せんたん)を丸く浮(う)きぼりにし、顔を描(えが)いています。また顔以外は、線(せん)ぼりと浮(う)きぼりで、弧(こ)や直線を描(えが)いて全面を覆(おお)っています。亀石(かめいし)は、楯築神社(たてつきじんじゃ)のご神体(しんたい)として、楯築遺跡(たてつきいせき)の墳丘(ふんきゅう)の上の祠(ほこら)に納(おさ)められていましたが、遺跡(いせき)の発掘調査(はっくつちょうさ)で、同じようなもようをもつ石が出土(しゅつど)したことから、この亀石(かめいし)も楯築遺跡(たてつきいせき)に伴(ともな)うものだとわかりました。

  • 宮山型特殊器台(とくしゅきだい)

    宮山型特殊器台(みややまがたとくしゅきだい)宮山墳丘墓(みややまふんきゅうぼ) 国指定重要文化財

    弥生時代後期(やよいじだいこうき)に岡山県(おかやまけん)で流行(りゅうこう)する特殊器台(とくしゅきだい)は、古墳時代(こふんじだい)の円筒埴輪(えんとうはにわ)のもとになった、葬式用の特別な土器(どき)です。宮山墳丘墓(みややまふんきゅうぼ)で出土(しゅつど)したものは、もっとも新しい形の特殊器台(とくしゅきだい)で、宮山型(みややまがた)と呼ばれています。この特殊器台(とくしゅきだい)と同じようなもようをもつものが、奈良県にある最古の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)である箸墓古墳(はしはかこふん)などから出土(しゅつど)しており、岡山県(おかやまけん)の特殊器台(とくしゅきだい)が奈良県(ならけん)の首長の墓(はか)に使われていることが注目されています。

  • 馬形帯鉤(うまがたたいこう)

    所蔵:宮内庁書陵部

    馬形帯鉤(うまがたたいこう)榊山古墳(さかきやまこふん)

    腰(こし)につける帯(おび)をとめる金具で、5世紀に朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝わったものです。1912年、岡山県(おかやまけん)最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)である造山古墳(つくりやまこふん)の前方部(ぜんぽうぶ)の近くにある榊山古墳(さかきやまこふん)が、地元の人々によって掘(ほ)りかえされた時、銅鏡(どうきょう)・銅鈴(どうれい)・龍(りゅう)をかたどった金具や刀などと共に、馬形帯鉤(うまがたたいこう)が6点出土(しゅつど)したとされています。しかし、近くにある千足古墳(せんぞくこふん)も同時に掘(ほ)られたため、両方の古墳(こふん)の出土品(しゅつどひん)がまじっている可能性もあるといわれています。最近(さいきん)になって、長野県(ながのけん)の浅川端遺跡(あさかわばたいせき)の住居跡(じゅうきょあと)から1点出土(しゅつど)するまでは、全国でも他ではみられないものでした。

  • 陶棺(とうかん)

    陶棺(とうかん)こうもり塚古墳(こうもりづかこふん)

    6世紀に作られたこうもり塚古墳(こうもりづかこふん)に納(おさ)められた棺(ひつぎ)の1つです。土で形を整え、(かま)で焼いて作っています。この陶棺(とうかん)は、ふつうの陶棺(とうかん)にはないほど、外面にもようを付けたりして、かざっています。棺(ひつぎ)の脚(あし)は、円筒埴輪(えんとうはにわ)と同じように作っているので、埴輪(はにわ)を作る職人(しょくにん)によって作られたものと思われます。

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