- 遺跡数5,783か所
- 面 積2,441㎢
佐賀県(さがけん)は九州の北西にあり、東の福岡県(ふくおかけん)と西の長崎県(ながさきけん)の間にあります。面積は九州でいちばん小さいですが、たくさんの遺跡(いせき)がみつかっています。
南の佐賀平野(さがへいや)はおだやかな有明海(ありあけかい)のそばにあります。今から約7000年前には、温暖化(おんだんか)で海水が陸地へ流れ込み、現在の佐賀平野(さがへいや)のほぼ半分が海でした。北の唐津平野(からつへいや)は玄界灘(げんかいなだ)のそばにあります。朝鮮半島(ちょうせんはんとう)や中国大陸(ちゅうごくたいりく)と近いため、大昔からさまざまな交流(こうりゅう)がおこなわれてきました。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)は、県北の唐津市(からつし)や県西の多久市(たくし)など山のほうで多くみつかっています。佐賀県(さがけん)内では石器(せっき)をつくる黒曜石(こくようせき)とサヌカイトという特別な石が取れる山があるため、県外からもこの2つの石を取りに人々がやってきていたようです。
縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡は、山の近くで多くみつかっています。佐賀平野(さがへいや)の中央の東名遺跡(ひがしみょういせき)はとても大きな貝塚(かいづか)で、網(あみ)かごやドングリを保管(ほかん)していた跡(あと)がみつかっています。
弥生時代(やよいじだい)には米づくりがはじまることから、遺跡(いせき)は川に近い平野で多くみつかっています。菜畑遺跡(なばたけいせき)では、いちばん古い田んぼの跡(あと)がみつかっています。吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)では、小さなムラが少しずつ大きくなり、まわりに深い濠(ほり)をめぐらせた、とても大きなクニへと成長していきます。
古墳時代(こふんじだい)になると、県内の各地に大きな古墳(こふん)が作られます。いちばん大きい古墳(こふん)は佐賀平野の船塚古墳(ふなづかこふん)で、長さは114mもあります。このほか、装飾(そうしょく)持つ古墳(こふん)や、銅鏡(どうきょう)、武器(ぶき)、アクセサリーなどの副葬品(ふくそうひん)も多くみつかっています。
編み籠(あみかご)東名遺跡(ひがしみょういせき)
佐賀市(さがし)の東名遺跡(ひがしみょういせき)で出土(しゅつど)した、いまから約8000年前の籠(かご)です。細く切った植物(しょくぶつ)を編(あ)んで作られており、編(あ)みかたのちがいによりさまざまな模様(もよう)がみられます。
籠(かご)は穴のなかから700点以上も出土(しゅつど)しており、ドングリがたくさん入った籠(かご)もあります。縄文人(じょうもんじん)たちが食料(しょくりょう)を保存(ほぞん)するために必要(ひつよう)な道具であったことがわかります。有柄銅剣(ゆうへいどうけん)吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき) 国指定重要文化財
吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)で出土(しゅつど)した、いまから約2100年前の銅剣(どうけん)です。ほかの銅剣とくらべて、剣の先から持ち手まで、すべて青銅(せいどう)でつくられているのが特徴(とくちょう)です。この剣は、墳丘墓(ふんきゅうぼ)という大きなお墓のなかからみつかりました。剣の持ち主は、吉野ヶ里のクニをおさめるリーダーではないかと考えられます。