- 遺跡数3,146か所
- 面 積4,147㎢
徳島県(とくしまけん)は、四国地方の東にあり、紀伊水道(きいすいどう)をはさんで和歌山県(わかやまけん)と向かいあっています。弥生時代(やよいじだい)には、県内各地の平野(へいや)にムラが作られるようになりますが、後期(こうき)になると、遺跡(いせき)の数が増え、規模(きぼ)も大きくなります。徳島市(とくしまし)では、南蔵本遺跡(みなみくらもといせき)・庄遺跡(しょういせき)・名東遺跡(みょうとういせき)・矢野遺跡(やのいせき)などが発展(はってん)します。また、徳島(とくしま)は、銅鐸(どうたく)が非常(ひじょう)にたくさん発見される地域(ちいき)です。銅鐸(どうたく)は、ムラの近くで発見される例(れい)も多いのですが、山の中や海辺など、平地のない場所からも発見されています。阿南(あなん)市の山中にある若杉山辰砂採掘遺跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき)は、国内で唯一(ゆいいつ)の、辰砂(しんしゃ)をほりだして「朱(しゅ)」という赤色の顔料(がんりょう)をつくった遺跡(いせき)です。さいきんの調査(ちょうさ)では、辰砂(しんしゃ)をとるために掘(ほ)られた、地下の通路も見つかり、近くの遺跡(いせき)では、水銀朱(すいぎんしゅ)を作る時に使った土器(どき)や石器(せっき)も多く発見されています。弥生時代(やよいじだい)の終わりごろから古墳時代(こふんじだい)の初めにかけて、特徴(とくちょう)のある墓(はか)が作られます。土ではなく、石を積みあげてつくった墳丘墓(ふんきゅうぼ)である萩原墳墓群(はぎわらふんぼぐん)、石を積み上げてつくった前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)である丹田古墳(たんだこふん)などです。
動物形土製品(どせいひん)足代東原遺跡(あしろひがしばらいせき)
吉野川(よしのがわ)の上流の北岸の東みよし町の足代東原遺跡(あしろひがしばらいせき)は36基(き)以上の円形積石墓(えんけいつみいしぼ)からなる遺跡(いせき)です。サルとイノシシの土製品(どせいひん)は、これらの墓(はか)のまわりで行われたまつりの時に、壺(つぼ)などの土器(どき)とともに使われた後に捨(す)てられていました。細(こま)かく見ると、2点とも威嚇(いかく)するような表情(ひょうじょう)・姿勢(しせい)をとっていて、縄文時代(じょうもんじだい)から続くまつりを引きついでいると考えられています。
「朱(しゅ)」に染(そ)まった道具たち若杉山辰砂採掘遺跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき) 国指定重要文化財
阿南市水井町(あなんし すいいちょう)の若杉山辰砂採掘追跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき)は、水銀朱(すいぎんしゅ)の原料である辰砂(しんしゃ)が採掘精製(さいくつせいせい)された、国内唯一(ゆいいつ)の遺跡(いせき)です。朱色(しゅいろ)は、神聖(しんせい)な色とされていたようで、岩脈(がんみゃく)の中の辰砂(しんしゃ)を集め、加工することによって、鮮(あざ)やかな朱色(しゅいろ)に仕上げます。遺跡(いせき)からは、この作業に使われた石杵(いしぎね)や石臼(いしうす)、容器(ようき)など、水銀朱(すいぎんしゅ)がついた道具が、大量に出土(しゅつど)しています。