滋賀県しがけん
  • 遺跡数4,641か所
  • 面 積4,017㎢
ドウタクくん
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滋賀県(しがけん)は、日本列島(れっとう)のほぼ真ん中にあり、周囲(しゅうい)を山にかこまれた盆地(ぼんち)で、その中央に日本最大の湖である琵琶湖(びわこ)があります。滋賀県(しがけん)は、江戸時代(えどじだい)までは近江国(おうみのくに)と呼ばれ、「淡海国」(おうみのくに)とも書かれたように、湖の国です。琵琶湖(びわこ)や比良山(ひらさん)、伊吹山(いぶきやま)などの水や森に恵まれた自然環境(しぜんかんきょう)は、人々に多くの自然の恵(めぐ)みを与えてきました。縄文時代(じょうもんじだい)には、相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき)で住居(じゅうきょ)の跡(あと)や日本最古級(さいこきゅう)の土偶(どぐう)、粟津湖底遺跡(あわづこていいせき)では貝塚(かいづか)がみつかり、生活の跡(あと)が明らかになってきています。弥生時代(やよいじだい)には米づくりも伝わり、下之郷遺跡(しものごういせき)のような、まわりを(ほり)でかこんだ環濠集落(かんごうしゅうらく)も登場(とうじょう)し、大岩山遺跡(おおいわやまいせき)では日本最大の銅鐸(どうたく)がみつかるなど、地域全体の祭りも行われるようになります。古墳時代(こふんじだい)になると、山津照神社古墳(やまつてるじんじゃこふん)や古保利古墳群(こほりこふんぐん)など、琵琶湖(びわこ)と東日本、北陸(ほくりく)などとつながる所に古墳(こふん)がつくられます。

うちのお宝 ベスト5

  • 土偶(どぐう)

    土偶(どぐう)相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき) 県指定文化財

    相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき)の発掘調査(はっくつちょうさ)では、縄文時代(じょうもんじだい)の草創期(そうそうき)の住居(たて穴建物)の跡(あと)が発見され、そこから土偶(どぐう)が1点、完全な形のまま出土(しゅつど)しました。高さは約3㎝で、乳房(ちぶさ)と腰部のくびれがはっきりと表現されています。土偶(どぐう)は国内最古級(さいこきゅう)のものと考えられ、出現期の土偶(どぐう)のあり方を考えるうえで貴重(きちょう)な資料(しりょう)です。

  • かわった形の短剣(たんけん)の鋳型(いがた)

    かわった形の短剣(たんけん)の鋳型(いがた)上御殿遺跡(かみごてんいせき) 県指定文化財

    上御殿遺跡(かみごてんいせき)で、いままで日本でみつかったことのない、変わった形の短剣(たんけん)の鋳型(いがた)が発見されました。鋳型(いがた)は、上下2つのパーツが向きあうような状態で出土(しゅつど)しました。上下ともに長さ29.5㎝、幅(はば)8.8㎝の大きさです。鋳型(いがた)に刻(きざ)まれた短剣(たんけん)の形は、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から北部九州に伝わった弥生時代(やよいじだい)の銅剣(どうけん)とは違うことから、その由来(ゆらい)が研究課題(けんきゅうかだい)となっています。

  • 大岩山銅鐸(おおいわやまどうたく)

    大岩山銅鐸(おおいわやまどうたく)大岩山遺跡(おおいわやまいせき) 国指定重要文化財

    大岩山遺跡(おおいわやまいせき)は、三上山(みかみやま)から続く大岩山山麓(おおいわやまさんろく)に位置します。1883(明治16)年に14個の銅鐸(どうたく)が発見されました。この中には日本最大の銅鐸(どうたく)も含まれています。その後、1962年に、少し離れた地点から10個の銅鐸(どうたく)が新たに発見されました。銅鐸(どうたく)は、発見時の記録や付着(ふちゃく)したサビの様子から大中小3個の銅鐸(どうたく)を入れ子にして埋められていたようです。いずれの銅鐸(どうたく)も弥生時代後期(やよいじだいこうき)のものです。

  • 馬具(ばぐ)

    馬具(ばぐ)新開1号墳(しんがいいちごうふん) 国指定重要文化財

    新開1号墳(しんがいいちごうふん)からは馬具(ばぐ)のセットが出土(しゅつど)しています。これらは古墳(こふん)で出土(しゅつど)した馬具(ばぐ)としては初期のもので、その多くは、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)あるいは、中国大陸(ちゅうごくたいりく)からの輸入品(ゆにゅうひん)と考えられています。このことは、新開2号墳(しんがい2ごうふん)から出土(しゅつど)した鉄の延(の)べ板や、新開4号墳(しんがい4ごうふん)から出土(しゅつど)した船形埴輪(ふながたはにわ)と合わせて、この古墳群(こふんぐん)に葬(ほうむ)られた人たちが、交易(こうえき)を通して、広く海外までつながっていたことを示しています。

  • 形象埴輪群(けいしょうはにわぐん)

    形象埴輪群(けいしょうはにわぐん)供養塚古墳(くようづかこふん) 県指定文化財

    供養塚古墳(くようづかこふん)は5世紀後半につくられた、全長52mの帆立貝形古墳(ほたてがいがたこふん)です。人物埴輪(じんぶつはにわ)をはじめとする形象埴輪群(けいしょうはにわぐん)は、墳丘(ふんきゅう)の造出し(つくりだし)の対面にある堤の上に集中して置かれていたと考えられています。出土(しゅつど)した埴輪(はにわ)の中には、男性の半身像の人物埴輪(じんぶつはにわ)、小型の切妻式(きりづましき)の家形埴輪(いえがたはにわ)、馬形埴輪(うまがたはにわ)の頭部、蓋形埴輪(きぬがさがたはにわ)などがあります。滋賀県(しがけん)内の5世紀後半の埴輪(はにわ)の様子や意味、古墳(こふん)でのお祭りを考える上で、もっとも良い資料と考えられます。

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